2024年7月25日から31日まで、ニューヨーク州のCooperstownを訪れました。長男の野球イベントへの参加に合わせ、家族全員で行ってきました。Cooperstownは「野球の聖地」として知られており、ここにはアメリカ野球殿堂博物館(National Baseball Hall of Fame and Museum)があり、多くの野球ファンにとって必見の場所です。
この博物館には、アメリカ野球の歴史や名選手たちの功績が展示されており、貴重なアイテムや映像資料が豊富に揃っています。また、Cooperstown Dreams ParkやCooperstown All Star Villageといった有名なイベント施設もあり、毎年夏には少年野球の全国大会が開催されます。
この大会には、全米各地から12歳以下の少年野球チーム(Travel, Little, Pony League)が集まり、熱戦を繰り広げます。2024年には、16週間にわたり1週間ごとのイベントが開催され、毎週約100チームが参加しました。Cooperstownでの試合は、少年たちにとって一生に一度の特別な体験となることが多く、アメリカ国内外から多くのチームが参加しています。

7/24 (Day 0)
イベントは7月25日の午後から始まるので、それに合わせて飛行機を予約しました。前日の7月24日、San Diegoの空港から22時頃の飛行機に乗り、4時間でChicagoに到着しました。2時間の乗り継ぎを経て、その後の1.5時間のフライトでAlbanyに到着しました。

7/25 (Day 1)
現地時間の10時頃にAlbany に到着し、レンタカーを借りました。 途中でウォルマートなどに立ち寄り、必要な買い物を済ませてからCooperstown に向かい、14時頃に到着しました。 Cooperstown 到着後、そのままドリームズパークに入り、イベントのチェックインを行いました。 まず、子供たちとコーチが宿泊する宿舎に行き、荷ほどきを始めました。 宿舎には2段ベッドが8個あり、16人が宿泊できるようになっていました。エアコンや冷蔵庫はなく、San Diego から来たチームメイトたちは暑さで辛そうでしたが、日本から帰国したばかりの長男は平気そうでした。
子供たちはスーツケースから荷物を出し、ベッド周りに置いたり、備え付けの箱に収納したりしていました。 すると、チームメイトの何人かがピンバッジの交換を始めました。 事前にチームでピンバッジを用意し、各自50個ほど持参していました。ここではピンバッジの交換が恒例行事となっており、さまざまなチームの選手と交換することも楽しみの一つです。
18時頃、家族はそこを離れ、選手たちは食堂で夕食をとり、シャワーを浴びてから就寝しました。 後で聞いた話では、ここの食事はあまり良くなく、ホテルの朝食のような薄味で、冷たかったとのことです。
その後、家族はそれぞれの宿泊先に向かいました。 私たちはチームメイトの3家族と一緒にAirbnb で大きな家を借りました。 1週間で$4,500、1家族あたり$1,500でしたが、弟や妹たちが3家族で集まれたので、ホテルよりも楽しむことができました。
7/26 (Day 2)
9時から開会式が行われました。チームは整列し、他のチームとともにアルファベット順に入場し、観客の声援を受けながらフィールドを歩きました。その後、11時からはスキルコンペティションが行われ、長男はダイヤモンドを1周する「Road Runner」という競技に出場しましたが、タイムは13秒06で、104チーム中7位となり、惜しくも入賞を逃しました。
次の試合まで時間があったので、私たちは野球殿堂博物館(Hall of Fame)に行きました。そこには野球草創期の歴史的に有名な選手たちの持ち物や写真が展示されており、メジャーリーガーのイチローや野茂だけでなく、佐々木朗希のボールや王貞治の868本塁打に関する展示もありました。さらには、マイケル・ジョーダンのバットや戦前の日米野球のポスターなどもあり、野球に関連するさまざまなアイテムを楽しむことができました。3階にはクロマキーの緑の壁の前で、自分の写真でベースボールカードを作れる場所もありました。
その後、19時には5試合のプールプレイの第1試合が行われ、初戦は勝利し、幸先の良いスタートを切ることができました。そのあと宿舎に戻り、Day 2は終了しました。










7/27 (Day 3)
Day 3は、朝から夕方まで2試合が行われ、結果は2勝。これで3連勝となり、順調に勝ち星を挙げています。試合後の夕食は、チーム全員でアメリカンダイナーに集まりました。食事の味は普通でしたが、レストランにはゲーム機や広い裏庭があり、子供たちはゲームをしたり、裏庭で野球をしたり、遊具で遊んだりと、みんなで楽しんでいました。

7/28 (Day 4)
Day 4 も、朝から夕方まで2試合が行われ、結果は1勝1敗。これで予選は4勝1敗で終了し、全104チーム中18位という結果でした。この成績により、トーナメントの組み合わせが決まり、運が悪ければ強豪チームと当たる可能性も出てきました。
試合後の夕食は、チームで地元のビール醸造所に行きました。食事の味は普通でしたが、野球場より広い裏庭があり、子供たちは野球をしたり、遊具で遊んだり、ハサミンで遊んだりして楽しんでいました。ちなみに、ハサミンとは私が小さい頃に遊んだゲームで、鬼2人がベース間でキャッチボールをし、他の子がその間を行ったり来たりするという遊びです。鬼にボールでデン(タッチ、タグ)されたら、鬼が交代するというルールです。その後は遅い時間になったため、子供たちは大人の宿泊先に戻り、それぞれのの家族と過ごしました。
7/29 (Day 5)
前日の予選結果で、104チーム中18位となり、午後からの4回戦に進むことになりました。ここからは1敗で敗退するシングルエリミネーションのトーナメントです。トーナメント表を確認すると、強豪チームのいくつかは反対側のセクションにいたため、上位に進出できる可能性が高まり、ラッキーでした。まず4回戦は順調に勝ち上がり、続く5回戦では、うちの子が逆転サヨナラヒットを打ち、見事に勝利を収めました。この勝利で、チームはベスト16に進出することができました。
7/30 (Day 6)
Day 6は、朝一番の6回戦で勝利し、続く準々決勝でも勝利しましたが、準決勝で惜しくも敗れてしまいました。結果として、得失点差で104チーム中3位という成績を収めました。うちの子は最終回の2アウトで打順が回ってきて、親としては「ここで終わったら可哀想」と思って見守っていましたが、6本目のホームランを打ち、本人もまずまずの結果に満足していました。しかし、次の子が最後の打者となり試合が終了してしまい、その子は悔し泣きしていました。試合直後はみんながっかりしていましたが、ダグアウトから出てくる時には、応援団から「お疲れ様」と拍手が沸き起こり、選手たちにも笑顔が戻っていました。
その後、宿舎に戻って荷造りをし、荷物を持って大人の宿泊先に向かいました。
決勝戦は、準決勝でうちに勝ったチームと、反対側のセクションで最強とされるチームとの対戦でした。その最強チームには、アメリカランキング1位の12歳選手が所属しており、その子は身長185cm。他の選手も強そうな選手ばかりで、結果は最強チームの圧勝に終わりました。
7/31 (Day 7)
Day 7は、ドリームズパークの宿舎のチェックアウトの日でした。忘れ物がないか確認し、写真を撮ったり、ピンバッチの交換をしたりしました。チームメイトの2人がユニフォームを忘れていて、それをSan Diegoに持ち帰って渡しました。昼頃にはCooperstownのダウンタウンに行き、最後のお土産を買う時間を過ごしました。その後、空港近くでランチを食べてから空港に向かい、チェックインを済ませて帰路に着きました。
しかし、飛行機が遅延したため、乗り継ぎ先のシカゴで1泊することになり、かなりバタバタしました。最終的には早朝の便でSan Diegoに到着し、もうクタクタでした。
あとがき
この大会は選抜制ではなく、ディビジョンによる区分もなく、参加希望のチームは誰でも申し込めば参加できる大会です。そのため、今回の大会では、最初の5試合で100点以上の失点を記録したチームがいくつかありました。うちのチームも一度、非常に弱いチームと対戦し、2回までに8本のホームランを打って23得点を挙げましたが、コールドゲームの規定回数に達しなかったため、3回目と4回目の攻撃ではバントだけを行い、相手チームに気の毒な気持ちになりました。
今回の大会では、満足のいく思い出を持てなかったチームも多くいたかもしれませんが、長男のチームは良い経験を積み、良い思い出を持って帰って来れたと思います。
