人生2回目のJury Duty (陪審員の招集)
2024年2月28日、僕は人生で2回目のJury Dutyに参加しました。1回目はコロナが流行する前の2020年頃で、その時のことも思い出しながら書いていきます。アメリカに30年以上住んでいる間に、2~3年に1度のペースで陪審義務の招集通知がハガキや封書で届いていましたが、これまでは仕事が忙しかったり、出張が多かったりしてほとんど断っていました。しかし、今回は参加することにしました。
召集通知の受け取り
2024年1月中旬頃、普通郵便のハガキで召集の通知を受け取りました。10日以内にオンラインで登録し、当日にこのハガキを持参するようにと書かれていました。この手続きは前回と同様に、すぐに済ませました。

裁判所への移動
2024年2月28日の朝6:30頃、近所に始発バス停があるので、今回はバスで行くことにしました。ダウンタウンの駐車料金はMLBの時で40-50ドル位したり、コロナ前でも20ドル位の記憶があったので、節約のため車で行くのは断念しました。事前にネットでバスの運賃や時間を調べ、近所のバス停に車を止めました。バスに乗ろうと運転手のおばちゃんに運賃を尋ねると、アプリかPrepaidのカードか現金か券売機のチケットしか使えないとのことでした。出発まで2-3分しかなかったのでアプリは断念し、券売機があればクレジットカードで買えると言われましたが、このバス停には無かったので、用意していた現金で乗車しました。バスはRapid Expressという高速バスで、料金は5ドルでした。安物の観光バスのような感じで、左右に2席ずつ、真ん中が細い通路のタイプでした。想定していたよりは乗り心地は良く、暇つぶしのTabletを持って行っていましたが、ほとんど寝ていました。

7:20頃、バスがダウンタウンに入り各駅停車になり、7:30頃に裁判所の前、正確には裁判所のビルに繋がっている隣のビルに到着しました。そのビルに入ると空港のセキュリティチェック風な、持ち物のX線検査と金属検査ゲートがありました。セキュリティを通過してエスカレーターを上ってビルの連絡通路を渡ると、やっとSuperior Courtのビルに到着しました。前回はトロリーで来たので、Superior Courtの近所に停まり、すぐにビルに入りましたが、セキュリティ検査は同じ感じでした。

前回は、家から車で出発し、Fashion Valleyというショッピングモールに車を置いて、そこからトロリーでダウンタウンに向かいました。トロリーは乗ってしまえば到着時間の予測は付くのですが、時刻表では20分に1本位しかなく、車の渋滞や駐車後の歩きなど、時間の計算が難しく、かなり時間の余裕を持っていたと記憶しています。

午前の部
7:45頃、Superior Courtの3階のロビーに集合しました。病院の待合室のような椅子がたくさん並んでいて、だいたい500席のロビーで、300人位はいたが、その後も徐々に増えていきました。寝ていたり、PCで仕事をしていたり、読書をしていたり、スマホをいじっていたり、それぞれが自由な時間を過ごしていました。
8:00から8:30頃、いくつかの説明のビデオが流れました。ビデオを見る人もいれば、そのまま自分のことをしている人もいました。内容はJury Dutyはあーだこーだ、機密保持はあーだこーだ、という風に説明していました。

8:30から9:00頃、説明員がロビーの前に立ち、マイクで簡単な説明を始めました。日数や時間について通常は3日-7日だが今回は7週間かかる案件があるらしく、出席できない人は、窓口に断りを入れるように言われました。公共交通機関で来た人は帰りのチケットをあげるとも言われました。詳しい日程を聞いてから辞退することもできると言われ、僕はもう少し残っていました。
9:00から9:30頃、この間に出席者の集計をしていたと思いますが、断った人は徐々に帰宅して、150-200人位がロビーに残っていたと思います。
9:30から10:30頃、ロビーに残った人から順次に放送で名前を呼ばれ始め、1303号室の前の廊下で待つように指示されました。僕は10時頃に呼ばれてエレベータで13階に行き、30分程タブレットで読書をしました。港が見えるOcean Viewで写真を撮っている人もいました。

10:30から11:00頃、1303号室の前で担当者が出てきて、名前と番号が呼ばれ始めました。僕は46番でした。呼ばれた人は番号札を受け取り、1303号室に入り、番号札の番号が付いた席に座りました。全部で番号札は100番まであったので100人いました。部屋の中はテレビなどでよく見る風景で、僕たち100人は、傍観席に座っていました。目の前の舞台のようなところに偉そうな人がいて、周りの机には数人が座っていました。
11:00頃、裁判長からスタッフの説明が始まり、原告弁護士、被告弁護士、書記などを紹介されました。その後、全員で立って機密保持について宣誓しました。そして裁判長から、事件の事実説明が話され始めました。何月何日に誰が誰に何々した、という事実内容で20-30個くらいあり、具体的な名前や住所を含めていて、途中には誰々が誰々を殺した、という事実も知りました。内容の数が多かったので時系列は覚えていませんが、内容にインパクトがあり周りの人の表情の変化は大きかった。最後に裁判は7週間で何月何日までかかる、とも言われました。
11:30頃、裁判長がこの裁判について、「内容的に辞退したい人や時間的に辞退したい人は番号札を上げて」と言いました。そこで僕は番号札を上げました。裁判長が番号をメモして、辞退したい人は45人になりました。
11:45頃、次に裁判長は、辞退したい人の45人は13時15分に部屋の前の廊下に集合、参加可能の55人は15時に部屋の前の廊下に集合、それまで昼休み休憩すると伝え、質問があるか問い合わせました。何人かの人は番号札を上げて、質問していました。それも12時過ぎに終わり休憩に入りました。
ランチ、午後の部
昼休みは選択肢は少なく、建物内の売店か近所のレストラン、と言っても徒歩圏内は数件でした。建物内の売店は特に特徴の無いサンドウィッチやピザがあるだけだったので、近所を散策しようと思い外出してみましたが、建物の外に出ても気持ちをそそられる看板は見えず、アプリで見ても普通の評価ばかりでした。結局近所のメキシカンでTacoを食べたが普通に美味しかった。
13:15、僕は辞退したい人だったのでランチの後、部屋の前に待ちました。部屋の前には45人くらいがいました。担当者が番号の小さい順に呼び、一人ずつ部屋に呼ばれました。僕は46番だったので20人目位でした。
14:00頃、番号を呼ばれ部屋に入ると、傍聴席に座るように指示を受けました。僕の席と裁判長の舞台まで距離は15メートル位で、間にはセキュリティや弁護士などが座っていました。セキュリティにマイクを渡され、裁判長との会話が始まりました。裁判長は「辞退の理由は内容的か?時間的か?」を聞いてきたので、僕は「両方」と答えました。裁判長は、「じゃあ時間的の方を答えて」と言いました。僕は「何月何日に旅行を予定している。Air Ticketも買った」と言いました。裁判長は「どこへ行く?」と聞いてきて、僕は「アリゾナのフェニックス」と答えました。続けて他の言い訳(病院の予約)を言おうとしたら、裁判長は「もう退席していいよ、ありがとう、旅行を楽しんで」と言ってとメモを取っていました。僕は、「旅行の予約のEvidenceも取らずにこれで良いの?」と思いましたが、そこは信用してくれたのか、100人も予備がいるからまあ良いと思われたのか、謎が残る所でした。
14:10頃、3階のロビーに戻り、タイムカードにスタンプを押して、帰路につきました。

帰りのバスと感想
14:30頃、帰りのバスに乗らないといけないが、バス停の場所が判らない。朝来た所に戻るバスの番号は控えていたが、バス停が色んな場所に離れている。ダウンタウンで始発のバス停ではないので時刻表もあてにならない。Santa Fe駅の近くに数台のバスが停まっていたのでそこに行くと、うちの近所のバス停に行くバスを発見し、朝に貰ったバスチケットで乗車しました。バスは朝のバスとは違い硬い椅子のタイプで乗り心地は最悪でした。お客さんには、学生やら会社員やら体臭の強い人やら、色んな人が乗っていました。ダウンタウンを出た後は高速を走るが、振動が激しくて時間も車の1.5倍位かかるが、新鮮な気持ちで乗ったから、帰りは眠らずに楽しめました。

15:45頃、目的地に到着し、車で帰宅しました。久々に新鮮な情報が盛りだくさんで、充実した日だったと感じました。
以上が、僕の2回目のJury Dutyの体験記です。この経験を通じて、アメリカの裁判制度について少し理解することができました。これからも、自分の体験を通じて、読者の皆さんに有益な情報を提供できるように努めていきます。ご一読いただき、ありがとうございました。次回もお楽しみに!
